美意識 [reflections]
以前はよくその言葉で物事を考えていた。
だが最近はどうもその言葉に魅力を感じない。
アートは装飾に収まってはならないし、
”美”だけを求めてはいけないと思う。
美は追うものではなく、突然心の中に現前するものであると思う。
”美”という言葉でいえば、アーティストの糞と、
デュシャンの便器には決定的な違いがある。
アーティストの糞はただの糞であって、それ以上のものではないが、
デュシャンの便器は明らかに別の次元を表現している。
(単にデザインの問題ではない)
それは美意識というよりも、変容の形式であり、
極めて自然な営みだ。
そしてそれが全く新しいものとして認識される
可能性を持つことに重要性がある。
私が言いたいのは、
議論の脱線はゆるされても、レールを脱線することは赦されない、
ということである。
そのレールはいつでもそこに存在していて、
”それ”は常にそのレール上を走っている。
そしてそのレールは”そこ”に存在しているが、
”ここ”には無い。
アンフォルメル [reflections]
ゲシュタルトの絵画、あるいは絵画のゲシュタルト。
表現はすべて代替行為に他ならない。
マトリクス、あるいはニューラルパターン。
アポトーシスのゲシュタルト。
断絶の形式(秩序)。
生きなければならない。
絵画にとって重要なのはメタモルフォーシスの保存。
制作ではない。
「飛ばす」のではなく「描写しない」という心構えである。
その方向で発展の希望が”まだ”残っているかもしれない。
だが将来的には完全な終焉を迎えるだろう。
ヒトの解明とともに絵画は目を閉じる。